これほど節約の敵なフレーズはありません。
投資をするようになり、自然と節約についても考えるようになったこの1年あまり、かつて自分へのご褒美を乱発していた自分への戒めとして、このことについて考えてみます。
自分へのご褒美とは、そしてその起源は?
頑張っている自分を奮い立たせるため、あるいは何かを達成した自分へのお祝いとして、自分へのご褒美は人の感情としては自然な行為だと思います。
自分へのご褒美は多くの人がやってきたことでしょうし、映画や小説などでもそんなシーンを見ることは普通にあります。
ですので、自分へのご褒美という文化がいつ頃始まったのかは不明です。
ただ、問題となるのは第三者にそそのかされて行う「自分へのご褒美」です。
具体的には、広告業界が「自分へのご褒美」を訴求し、消費者の購買欲をかきたてること。
広告の目的は「消費者の財布の紐を緩めさせること」ですので、「自分へのご褒美」はそのための手段のうちのひとつにすぎません。
ですので、この世界に広告が誕生した以降のどこかの時点で、いわゆる「自分へのご褒美」が誕生したのでしょう。
どこかの時点かを特定することは難しいですが、それぞれの商材に関しては比較的容易です。
例えば毎年2月のチョコレート商戦。
「自分へのご褒美」が一般的になったのはこの10年以内でしょう。
自分へのご褒美の問題点1
このことからも想像できますが、現代における「自分へのご褒美」とは、もはや自発的なものではなく、広告業界が消費者にものやサービスを購入させるためのキャンペーンにすぎません。
本来、ものやサービスを購入する際の判断は、自らの興味や必要性をベースとし、自発的に収集した情報に基づいて行うものです。
もちろん外部の情報も判断材料にしますが、あくまで自分の考えと照合したり、考えに補完したりするためのもので、最終的な判断の責任は自分が持ちます。
ところが、「自分へのご褒美」というフレーズはそんな理性を吹き飛ばすパワーワードで、購入する際のすべての理性的判断をなかったことにしてしまいます。
「自分へのご褒美」とさえ言い訳すればすべて解決、みたいな感じに錯覚してしまうのです。
理性ではなく感情で消費をする原因になるところが「自分へのご褒美」の問題点です。
自分へのご褒美の問題点2
お金を使うという重要なイベントの判断を(広告に煽られた)感情に任せてしまう愚行自体問題なのですが、「自分へのご褒美」にはボディーブローのように効いてくる問題もあります。
多くの人が経験しているでしょうし、△自身もそうだったのですが、初めて自分へのご褒美をした時は、それなりに時間をかけて考えましたし、ご褒美をあげる条件のハードルもそれなりに高かったはずです。
ところが、自分へのご褒美を繰り返しているうちに、そのハードルは低くなり、なにかといえばご褒美を乱発するようになっていったのです。
「今日は残業5時間頑張ったから、5時間分の報酬分だけゲーム買うぞ!」とか。
そして、末期になると、自分へのご褒美がなければ頑張ることができなくなってしまうのです。
「頑張った!→ご褒美」から、「ご褒美→頑張るかぁ」な状態になってしまうのです。
あまつさえ「自分へのご褒美」を何か購入するときの言い訳として使うようにもなります。
最初はよく効いていた薬が、乱用によって効きが悪くなり、やがて常時服用しなければ通常の生活も送れなくなる。
まるで麻薬のような状態です。
つまり、「自分へのご褒美」には麻薬乱用と同様の悪影響があるといっても過言ではありません。
(まあ、そこまで重症になるのはよほど意志の弱い人でしょうが。。。)
自分の置かれている環境を変えることがベター
とはいえ、「自分へのご褒美」は日々のモチベーションを上げるために必要だ、って人もいるでしょう。
それはまあ、自分の経験からも同感です。
ただ、「自分へのご褒美」は対症療法にすぎません。
解決しなければならないのは、「自分へのご褒美が必要な状況」でしょう。
「自分へのご褒美」が必要なのは、様々な理由が考えられますが、おもに以下の3つです:
2. ストレスをすごく感じる生活→ご褒美で気分転換
3. 誰も自分を認めてくれない→自分で褒めるしかない
忙しすぎて辛い、ストレスをすごく感じる生活、誰も自分を認めてくれない。。。
どれもはまり込むととても辛い状況。
そして、抜け出すには相当なパワーを要する一仕事です。
それでも根本原因、つまり病巣を除去することが、「自分へのご褒美」を必要としない正常な生活への一番の近道であることはたしかです。
△個人は1と2に問題を抱えていたので、1は仕事をできるだけ減らして休暇を増やす。
2は休暇が増えたことによって、自然とストレスは軽減。
そうやって「自分へのご褒美」への依存を減らすことができました。
3の状況は経験はないのですが、なにをもって「認められる」かによりますね。
高い報酬によって承認欲求を満たせる人もいれば、人間関係から満たされる人もいる。
あるいは承認欲求に振り回されない強い自我を確立する、という解決法もあるでしょう。
それに価値があるのか否か。それが正しい判断基準
「自分へのご褒美」という言い訳に基づいた消費行動は、節約をするうえで最大の敵。
しかし、まったく消費しない生活というのはありえません。
生活必需品から趣味の品まで、日々それにお金を使うか否かの判断をわれわれはしなければなりません。
節約というのはただ我慢することではなく、不必要なものを排除すること。
逆に言えば、自分にとって必要なものを見極めることがキーになります。
その際判断材料になるのは、購入しようとしているものが自分にとって価値があるか否かということ。
ついつい、「安いからお買い得で価値がある」とか、「値段が高いから価値がある」とか、「価格」に価値の判断基準を置きがちですが、それは誤り。
価格に関係なく、購入対象が自分に対してどのような価値をもたらすのかを判断することが重要です。
それでも我慢できそうにないときの解決法
まずは時間をおいて落ち着くこと。
amazonの1クリックで購入機能など、敵?の思う壺です。
これは△個人で実践している方法ですが、もし購入するか否か迷った場合、価格÷1000日の間、冷静に考える時間を設けています。
たとえば、ジョブズが生きていたら叩き壊したであろうと話題の新しいiPhoneが100000円するとします。
その場合、100000÷1000=100
つまり、100日間、そのiPhoneが本当に必要なのか考えるのです。
考えるのが面倒なら、ただ100日間待つだけでもOKです。
たいてい時間が経てば冷静さが戻ってきて、購入欲も自然と減じますので。
△はこうやって一つ一つの物欲に打ち勝ってきて、それ以前より多くの貯金ができるようになり、それを投資に回すことができました。
まとめ:自分へのご褒美は小さくても大きくても蓄財の敵です
本来の「自分へのご褒美」は、個人による個人のための行為でした。
ただ、今はセールスの一手法として、生活のあらゆるシーンに蔓延しています。
仕事を頑張ったから、テストが終わったから、今日は暑いのに頑張ったから。。。
などなど、ただ自分を甘やかす罪悪感をごまかす言い訳として使われる免罪符のような存在です。
人間ですから完璧はありませんので、たまには感情に流されることもあるでしょう。
しかし、もし節約を実践し、資産を増やしたいと考えるなら、「自分へのご褒美」を撲滅しなければなりません。
車からコンビニコーヒーに至るまで、価格の多寡は問いません。
もし、それらの購入理由が「自分へのご褒美」というものでしたら、それはただの無駄遣い。
今後は「それに価値があるか」を慎重に検討して購入しましょう。
個人的な経験ですが、「購入の際に価値を検討する」行為は高報酬な人ほど実践していることです。
ましてや△のような平凡な報酬の人は一刻も早く実践しなければ、資産を築くことはできません。
老後2000万円問題とかで、投資が一時期話題になりましたけど、投資以前に普段の節約の方が優先事項。
くだらない出費を減らして、その後投資という次のステップへ踏み出していきましょう。